マリオカートは世界から貧困をなくすカギになるのかーNature誌の論文よりー

こんなネット記事を見た。

 

news.livedoor.com

 

いわく、「マリオカート」シリーズの大きな特徴である、「順位が下の人ほどアイテムが強くなる」というシステムを参考に、社会の下位層にいる人ほど手厚い補助を受けられる仕組みを導入することで、社会の貧困問題を解消できるのではないか、といった主張らしい。

 

この仕組みは、ある種パーティーゲームである「マリオカート」ならではのシステムであり、実力差のある相手同士でも順位が流動的になり、勝者と敗者が圧倒的に2分されにくいようにしている。「平等」と「公平」で言えば「公平」に当たるシステムになる。 

 

これを現実社会に置き換えると、社会の最底辺層の人々に対して、一般的に求められる最低限の生活(日本でいえば「健康で文化的な最低限度の生活(憲法25条)」)へ到達するための支援プログラムを、政府が主導して実施し、実際に彼らの生活レベルが望ましい段階まで引き上げられることをもって同プログラムは成功となる、といった筋書きになるだろうか。もちろんこれには上位層の人々から経済的、社会的な援助を得ることを前提とする(一例は累進課税)。

 

マリオカート」とは異なり、社会の最底辺から上位へ一気に成り上がることは不可能だろうが(そもそも中層にいる人も上層に上がれない)、少なくとも最底辺層の人々が、一般社会という「レース」の舞台に這い上がり、そのスタートラインを踏むことはかなう。このあたりは、ジョン・ロールズの『正義論』で語られている「もっとも不遇な人々の利益を最大化すること」に通じるものがある。

 

しかし、これを希望的観測のみに落ち着かせるにはいささか危険が伴う。すなわち、「貧困」という言葉の射程を、「絶対的貧困」にとどめるのか、「相対的貧困」にまで拡張するのかによって、助成プログラムの在り方に大きな差が出る。

 

絶対的貧困」というのは、先の「もっとも不遇な人々」にあたる、現在最低限の生活すら送ることのできない人のことを指しており、彼らは当然社会の下位に位置しているわけなので、助成の必要がある。

 

問題は「相対的貧困」の状態にある人々をどうするかである。彼らは最低限の生活は送ることができていても、その社会の平均的な収入を下回るなど、全体から見た時に「相対的に」貧困の状態にいる人のことを指すが、彼らの地位はピンキリであり、ある人は集団の平均収入をわずかに下回るのみで、そこまで生活には不自由していない一方で、ある人は最低限の生活ギリギリで生活しており、いつ「絶対的貧困」に落ちるかわからない。特に後者の人々は、実質的に「絶対的貧困」の人々と順位は変わらない。

 

このような状況で、「絶対的貧困」の人に対してのみ助成プログラムを実施するとなると、当然ラインギリギリの人々からは不満が出る。その助成によってかつて「絶対的貧困」であった人が、ラインギリギリの自分よりもはるか高い順位に栄転するさまを見た時には、社会を呪うことになるだろう。

 

では「相対的貧困」の人もすべて含めて助成すればよいかというと、そういうわけにもいかない。そもそもそんな財源はこの世のどこにもないし、「相対的貧困」というのはあくまで集団における比較によって生じている貧困であるので、彼ら「相対的貧困者」を永遠に助成し続けると、集団の富がインフレを起こしてしまい、結果集団全体が世界から見て「相対的貧困者」になるのがオチだ。

 

これに対するソリューションは、①「相対的貧困」の中で線引きをして、一定ライン以下の人のみ助成をすることと、②「絶対的貧困」に限らず、社会の最底辺に位置する人々の経済状況が、一定程度(例:年収350万円)に上がるまで、「相対的貧困」者を含めて全員助成する、の2つが挙げられるが、これらについても、あまり現実的ではない。

 

②については、先ほどの話を縮小させたにすぎず、助成された貧困者はインフレした社会の富の中で、よりつらい生活を余儀なくされるのみで、根本的な解決にはならない。

 

①については、これもまた線引きの境界に位置する人々の取り扱いがカギになってくる。もちろん全員を救うことはできないのだし、助成をするからといって、結局は国民1人1人が自力で所得を得られるように努力しなければ意味がないのであるから(さもなくば「社会主義」という地獄が待っている)、ある程度社会の中で不自由せず生活のできる国民は、政府の助成を頼りにせず、自ら所得向上に向けて努力すべきなのであるが、こうした理不尽な批判をうまくかわすことができなければ、一国の政治はままならないだろう。昨今のSNSの惨状を見ていれば、これがいかに困難なものであるかは一目瞭然である。

 

右システムは、うまく機能すれば、社会全体の富を増やして、かつ人々の生活も改善するとてもよい方策になりうるが、しかし現実は「マリオカート」のように都合よいアイテムはなかなかでない、ということを考慮する必要があるマリオカートにおいても欲しいときにアイテムが出ないということは往々にしてあるが)

 

このほかにも、「マリオカート」でもよく起こることだが、最底辺から這い上がろうとしている「絶対的貧困」の人々を、「相対的貧困」に位置する中位~下位層の人々がつぶしてしまったり、底辺層から這い上がった人々を上位層が食いつぶし、貧困へ逆戻りしたり、という危険もある。現在の社会制度は、サンダーによって抜本的に変えられるような安い代物でもないので、段階的にかつ確実に順位を上げていくことが、所得レースという人類に課せられた至上の監獄における唯一の勝利の方程式である。